冬時々蜜柑

#1-1
 「冬といえば、蜜柑よね」

……独り言だ。特に意味もない。
まぁ蜜柑は好きだけどね。おいしいし。

 いつの間に近づいてきたのか、今年も年末があちこちに顔を覗かせ始めている。
具体的にはクリスマスのイルミネーションや、年賀状の用意を呼びかける広告などだ。
すっかり必需品となったマフラーを風に靡かせながら、私は足早に家へ向かう。

 愛しの我が家は、賑やかな商店街から少し離れた丘の上にある。
学生が一人暮らしをするのには少し贅沢な、見晴らしのいいマンションだ。
この界隈はいつも静かで、私は非常に気に入っている。
もしかするとこの辺りだけ時間の流れが他と違うのかもしれない。
せわしなく人の動く商店街を抜けてそんなことを考えた。そうなると私は人より長く生きられるかもしれない。
……もっとも体感時間の上で、という話だが。

 強い風が吹いて、帽子が飛ばされそうになる。セーフ。
身を縮こまらせて前へと進む。到着。
早く暖房を付けてソファで寛ぎたい。階段を小走りで駆ける。
財布から鍵を取り出すために手袋を脱いだ手が、寒さに震える。

 「ただい、ま……」

 ドアを開けて私が見たものは、私の家だった。当たり前である。
ただし、私が外出するときに見た様子とは異なっていた。
玄関からリビングに至る廊下の真ん中に、ダンボールの箱が置いてある。
そしてその箱の周りには、橙色の球体がいくつも落ちて……。

 「……冬といえば、蜜柑よね」

私はそう呟くと、一瞬で疲れきった脳を休ませるためにその場に倒れこんだ。

#1-2
 「……状況を整理しましょう」
 「状況も何も、見た通りよ。蜜柑が散らばっているわ」
 「何故蜜柑?林檎じゃ駄目なの?」
 「そこは問題じゃないわ。林檎なら散らばっていてもいいと言うの?」
 「別にいいじゃない、蜜柑おいしいし」
 「蜜柑といえば冷凍蜜柑っておいしいわよね」

 10分ほど倒れていたらしい。風邪を引きそうだ。
速やかに暖房を付けて健康状態を維持するために、私はとりあえず散乱した蜜柑を段ボール箱に詰めた。
両手で抱える程の段ボール箱の中にも半分ほど蜜柑が詰まっており、一杯になった箱は持つことが難しかったので、ひとまず脇によけておいた。

 「冷静に考えてみると……」

 何者かが家の中に入ってこの蜜柑を置いていったということだろうか。
すぐに部屋を確認するが、荒らされた形跡もなく、貴重品も無事だった。

 「愉快犯ね」
 「愉快犯だわ」
 「愉快ね」

 そもそも空き巣だったとしたら、こんなに重たいものを持ってくるはずはないだろう。
すると一体、誰が何のために……。

 「実は蜜柑に見せかけた生物兵器だったりして」

 いやいや、ないない。
仮にそうだったとしても、何故こんなところに生物兵器が出現するのか。

 「実はこれは夢」
 「自分で置いておいて忘れているだけ」
 「蜜柑ではなく地球の侵略が目的の宇宙人」
 「少し早めのクリスマスプレゼント」

 緊急脳内会議に出席している私(達)はもう少しまともな発想ができないのだろうか。
……いや、仕方ないだろう。いきなり自宅に出自不明の蜜柑が現れて動じない人は少ないはずだ。そして私は多数派である。

 その時、1人の友人のことを思い出した。
私が知る限り、一番「不思議」に近い女の子……。彼女なら、脳内会議議員の私(達)よりもマシな意見を出してくれるかもしれない……。

 ……後から思ったことだが、彼女にマシな意見を求めるなど、この件に関しては私がどうにかしていたと言わざるを得ない。

#1-3
 「蜜柑ってさ、おいしいよね~」

 彼女に電話をすると、よく伸びた餅の様な声が受話器の向こうから聞こえてきた。
挨拶もなしに、いきなり蜜柑の話を切り出してくるとは。彼女はエスパーなのかもしれない。

 「そう、その蜜柑なんだけどね……」
 「冷凍蜜柑っておいしいよね~」

 ……やはり彼女はエスパーなのだろう。脳内会議議員の資格を、恐らく彼女は持ち合わせている。

 彼女の名は、芙鹿という。
初めて彼女にあったのは、今年の春の事だった。
隣町まで出かけた時、古道具屋を探していた芙鹿に道を尋ねられ、その店を探すのを手伝う内に打ち解けたのだ。
初めは年下だと思っていたが、話す内になんと同じ大学に通う同い年であることが判明した。
そして、ここでは多くを語らないでおくが、一言で言うと変人である。
ちなみに二言で言い表すなら、凄く変人である。

 「その蜜柑がね……」
 「でも林檎もいいよね~」

 あぁ。駄目だ、ペースを崩される。
でもそんな雰囲気が、意外に私は好きだった。
春に知り合ってから、時折私達は遊びに出かけたりした。
もっぱら芙鹿の行きたい所(大抵それは山の奥であったり、遠い町であったりした)に連れ回されるだけだったのだが。
それでも、芙鹿といる時間は楽しくて、私は断れなかったのだった。

 「そ、れ、で、ね」
 「うわ、壊れ煎餅みたいな声出してどうしたのさ~」

 ……どんな声だ。

 「蜜柑。そう、蜜柑がさ。突然家に現れたら、どうする?」
 「蜜柑?林檎じゃなくて?」

 だから何故そうなるのだ。

 「そう。蜜柑。もし、もし仮に突然自分の家に蜜柑が現れたら、どうする?」

 私は慎重になっていた。もし芙鹿が、私の家で不思議な出来事が起きたと知ったらどうなるだろうか。
恐らくその数時間後には、私は滝に打たれたり、もしくは樹海を彷徨っていたり、あるいは深海を探索していたりする運命にあるだろう。
……こんな話がある。かつて、鯨が見てみたい、と芙鹿が言った。私は何の気もなく、いいねと相槌を打った。
その僅か3時間後である。私達は何故か富士山の麓にいた。芙鹿曰く、鯨を見るために……。

#1-4
 彼女と一緒にいる時間は楽しい。だがしかし、この寒い中厳しい自然の下へ自分を放り込む気にはならないのだった。

 「う~ん、蜜柑ねぇ……」

 幸い芙鹿は深く考えないでいてくれたようだ。受話器越しに、真剣に唸る彼女の声が聞こえてくる。

 「蜜柑……ねぇ……」

 そんな声を聞いている内に、私の中で1つの仮説が浮かび上がった。
それは、芙鹿によるいたずら説である。大筋はこうだ。
まず、彼女は何らかの方法で我が家に侵入、蜜柑を置いていく。
その後私が蜜柑を見つける。ここで驚いて、芙鹿に電話をすることまで彼女は想定している。
そして、その話を聞きながら彼女はこう言うのだ。「あれをやったのは私だよ」と。

 そう考えると今、受話器から漏れだすこの唸り声も笑いを堪えているように聞こえなくもない。
「溜め」の時間なのだ。精一杯私を不安にさせて、そしてタネをばらすつもりなのだ。きっと。

 途端に私は、彼女の思う通りになるのが悔しくなってきた。
ここでぎゃふんと言わせてやるのだ。先制攻撃だ!

 「芙鹿……あなた、私の家に忍び込んだでしょ」

 一瞬の沈黙。そして、

 「あ、バレた?」

 よし、と小さくガッツポーズをする。先制攻撃は成功だ。そしてやはり、あれを置いていったのは芙鹿だったのだ。

 「そりゃわかるわよ。あんなものを置いていくのはきっとあなただと思ったわ」
 「う~ん、やっぱりわかっちゃったか~」

 蜜柑を見て10分間倒れこんでいた人間の台詞である。人間、都合の悪いことは忘れていく生き物なのだ。

 「もう。一体どうやってドアを開けたのよ。それとも窓から?」
 「この前、郵便受けに鍵が入ってるって言ってたじゃん。それでちょちょいと……」

 あ。迂闊だった。そういえば自分で郵便受けに鍵を入れておいたのだ。万が一のために。
すっかり忘れていた……。

#1-5
 「はぁ。なんにせよ良かったわ。一件落着よ。あ、あれ食べていいのかしら?」
 「いいよ~。もともとそのために持っていったんだし」
 「ありがと。じゃ、切るわね」
 「え、まだ解決してないじゃん。突然蜜柑が現れた話」

 え。

 蜜柑の話がまだ解決していない……?

 「……何言ってんのよ。蜜柑、置いていったのは芙鹿なんでしょ?」
 「さっきの話は自分のことだったの?それに、私は蜜柑なんて置いてないよ~」

 待て待て。
いや、待て待て。

 「じゃあ芙鹿は家に来て何を置いていったのよ」
 「林檎だよ~。段ボール箱一杯の」
 「家にあったのは段ボール箱一杯の蜜柑だったわよ……?」

 どういうこと?
あれをやったのは芙鹿じゃないの?
一体何がどうなって……。

 私は薄気味悪くなって、扉を開けて外へ出た。

 「あ、雪……」

 初雪だった。寒いわけだ。
しかし今はそれどころではない。一体何故、蜜柑が……。

 「もしも~し、聞こえる~?」

 受話器からは芙鹿の声。

 「聞こえてるわ。もう、何がどうなってんのよ……」
 「さぁ……私の置いた林檎が蜜柑になったのかな」
 「SFじゃあるまいし……」
 「それはSFじゃないと思う^^;」
 「じゃあなんだって言うのよ……」

 「雪の精のいたずら、とかだったりしてね」

 芙鹿がそう言った。

 「雪の精も変ないたずらするわね……」
 「でもさ、初雪も降ってきたし、いたずらだったとしたらそろそろ終わると思うよ」
 「終わるって……林檎が返ってくるのかしら?」

 全くもって解せない。がしかし、それでいいかなと納得しかけている自分がいる。
世の中は不思議に満ちている。そんな不思議の一端が、私の元へ訪れることも、ないわけではないのだ。きっと。
笑みが溢れる。わけがわからないけど、楽しいからいいか。もっとも、本当に芙鹿の林檎が帰ってきたら驚くけど……

 ドサッ

 ……私の家の中から、音がした。
急いでドアを開ける。廊下の真ん中には、段ボール箱。
そしてその周りには……。

 「林檎もおいしいわよね」

そう呟いて、私は気絶した。

 Fin



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