蜘蛛の糸


細い糸が垂れていた。

罪人でもあるまいし、と思っていたが、誰も糸を手繰ろうとしない。とすれば、私に向けて降ろされたのだろう。

だが私はここを地獄だとは思えない。生まれた頃からこの世界だ。そりゃ生きてれば辛いこともあるが、それでも愉しいこともある。
ひょっとすると、前世の記憶がないだけかもしれない。糸の上の世界で悪いことをして、ここに落とされたのかも。
ならば上はどんなにすばらしいのだろうか。今私が抱えている些細な悩みや苦労でさえ、彼らからすれば嘆かわしいのだろうか。
私は、親指を上にして右手で糸を握っていた。細く白い。確かに本物風である。



止めよう。やはり今の人生がいい。苦しいが、あっけなく死のうが、それでも、だからこそ、私の人生は愉しい人生なのだ。

私は糸を軽く引っ張ってから、元のように足を進めた。



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そして、彼らが説得に来た。大きく、白い。僕の三倍はあろうか。肌だけではなく毛も、服も白い。
彼らは三人であった。必死に僕に呼び掛ける男、何か黒い箱を担ぐ男、書き取ったりそれを耳打ちする男。箱は僕を見ているようだった。

彼はカタコトで話しはじめた。こっちは君らの寿命の何倍も、十何倍も生きられる。食べ物だって何でも食べられる。知ろうとすればあらゆる知識が手に入る。
何においてもここよりハイグレードだと。


だが僕は断った。ここの生活があるのだと。彼は哀れむような目だった。


彼は箱に向かって話した。『彼は何も知らないんです。哀れな少年は、本当の幸福を知らずに、このゴミの山で一生を過ごすのです。』
彼は英語でそう言った。箱は、彼を映していた。

photo by Enno Schröder



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